30週4日で生まれました②

エルちゃんとエムくん

エムくんが30週で生まれた時のお話です。
続きをどうぞ。

転院先の大学病院

妊婦検診に通っていた総合病院とは違って、大学病院は夜中でも明るく、人も多く、活気も少しありました。

私はいきなり分娩室のようなところに連れてこられ、そこでも血液検査と、ずいぶんと長い時間、エコーでの診察がありました。

先生は難しい顔をして、丹念に赤ちゃんの様子を診てくれました。
妊婦検診では受けたことのないくらい長い診察で、私は不安になりました。

ようやく顔を上げた先生に伝えられたことは、


赤ちゃんは今は元気だということ

再度行った血液検査の結果でも、肝臓の数値は依然悪いこと

肝臓の数値がよくなる可能性がある薬をこれから使うこと

その薬を使って肝臓の数値がよくなる可能性は、なくはないこと

うまく薬が効けば、何日か、もしくは何週間かはこの状態でいられること

その薬を使っても肝臓の数値が良くならない場合、赤ちゃんを取り出すこと

恐らく、HELLP症候群であること

この症状を改善するのに一番効果的なことは、妊娠を終わらせること


でした。

説明を聞いても、私はいまいちピンと来ていませんでした。
もうその頃には痛みもすっかり治まっていて、自覚症状が全くなかったのです。

それに、その時の私には、早産で生まれてくる子どもがどんなリスクを持つことになるのか、知識がほとんどありませんでした。

ただ誕生日が2か月早くなる、そんな感想しか持っていない馬鹿者でした。

だから、先生の説明もなんだか他人事のようでした。


その頃夫は、私が受けた説明と同じ内容の話を待合室で聞き、その後、たくさんの書類にサインを求められたそうです。

一緒に連れて行ったエルちゃんは、夜中に起きてても怒られないし、いつもと違うシチュエーションにハイテンションになっていたそうです。

それから二人は、いったん帰宅するよう指示され、タクシーで家に帰りました。
長い一日がようやく終わったのは、朝の4時でした。

30週4日目の朝

いったん帰宅した夫とエルちゃんは、ほぼ徹夜だったので、へとへとでした。
エルちゃんは疲れ果てて、帰宅後すぐに眠りにつきました。

夫も一通り寝る支度をすませ、ようやくベッドに入ろうとした時、携帯電話が鳴りました。

さっきまでいた病院からです。

…おそらく、いろんな想像が働いたと思います。

詳しくは聞いていませんが。

電話の内容は、今すぐに病院に来い。これから赤ちゃんを取り出すよ。という内容でした。

夫は、今寝たばかりのほぼ徹夜だった2歳児をまた叩き起こし、さっき来た道をタクシーで引き返して来ました。

エルちゃんの怒りは相当だったろうことは、想像に難くありません。

その頃私は、先生たちの密かな緊張感と、夫とエルちゃんの疲労困憊をよそに、いつの間にかぐうぐうと呑気に眠りこけていました。

手術室へ

・夜中に血液検査は何度もしました。

・詳しくは覚えていませんが、おそらく1、2時間おきに行われたと思います。

・投与した薬が効いているのかを調べるため、肝臓の数値を確認していたと記憶しています。

・そして、その薬では、私の肝臓は大してよくなることはありませんでした。

・先生は、赤ちゃんが元気なうちに出しましょう。と言いました。

・病院に運ばれた翌日の朝一の手術で、赤ちゃんは生まれました。


夜中~朝までに起こった出来事を箇条書きにすると、こんな感じです。

でも、実際に現場で起こっていたことは、

・手術室にはたくさんの先生がいてくれて、私の隣には、生まれてきた赤ちゃんをすぐに入れられるように、移動式NICUのようなケースが用意され、手術前の不安な気持ちの私を、軽いジョークで和ませようとしてくれる看護師さんがいてくれました。

・生まれてくる赤ちゃんが小さくて、横一文字に切る普通の帝王切開では赤ちゃんまで手が届かないかもしれないから、逆T字に切開する可能性があることを説明されました。
結局、手術に一緒に入ってくれたベテランの先生が、横一文字の切開だけで大丈夫だよーハハハ、と、逆T字切開を避けてくれたけど、いざ取り出すときはちょっと手こずっていた様子でした。

・まだお腹の中にいたいだろうに、無理やり叩き起こされて取り出され、怒って声も上げてくれなかったらどうしようという私の不安をよそに、出てきてすぐに、小さい声だったけれどしっかり泣き声をあげてくれました。

・赤ちゃんが取り出されるとすぐに、新生児担当の先生たちがわしゃーと赤ちゃんを取り囲み、すばやく処置を施してくれて、赤ちゃんはケースに入れられ、すぐにどこかへ連れていかれました。


まだまだ書ききれないほどたくさんのエピソードが、実際にはありました。

退院するまで、退院したあと

生まれたばかりの赤ちゃんは、数日後はいったん体重が落ちます。
早産で生まれたエムくんは、生後4日目で、体重・1174g、哺乳力・弱、黄疸・強、の状態でした。

こちらの病院では、退院の最低限の基準を、体重が2300g以上になることとしていました。
もちろん、他に症状が出ていない場合です。

エムくんは基準の体重に達するまで2か月ほどかかりました。結局、出産予定日近くまで入院していたことになります。それまで何度も黄疸が出て、面会に行った時にその治療中だったことも度々ありました。

また、エムくんが生まれた時期が冬で、インフルエンザが流行っていたこともあり、NICUはもちろん、小児病棟に子どもが入ることも許されませんでした。
なので、まだ2歳のエルちゃんを一人で待合室に待たせることも出来ず、搾乳した母乳をNICUまで持っていくことがなかなか困難でした。
毎日、母乳を届けることが出来ず、自己嫌悪になったこともあります。

でも、エムくんは大きな問題もなく順調に大きくなってくれ、新生児用のオムツを更に折り曲げて使っていたのがだんだん折らずに使えるようになり、大きなカプセルから出て半楕円形のコットに移動し、ガリガリの赤ちゃんだったのが、退院する頃にはほっぺが少しふっくらしていました。


現在、5歳のエムくんは、半年~1年に一度、生まれた病院でフォローアップ検診を受けています。
診てくれているのは新生児科の先生です。NICUの時からお世話になっています。

6歳になる直前、識字障害などの障害がないかを確認して、フォローアップ検診は終わりです。
今のところ、特に困難を抱えていないのは、幸運だと思っています。


HELLP症候群って、時間との闘いです。
救急車を躊躇わずに呼んでよかった。
最初の総合病院で、すぐに転院を決めてくれてよかった。NICUのある病院を転院先に選んでくれてよかった。
大学病院で、先生がすぐに出産する判断を下してくれてよかった。

救急車で運ばれて、10時間後に出産するとは思わなかったけど、ほんとに運がよかったなあと思います。

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